創価芸術展の歴史・淵源
創価芸術展の淵源
創価芸術展と創立者
【創価芸術展の淵源】
 平成2年6月、創立者池田大作先生は、関西創価小学校の絵画作品展「第6回児童ドリーム・フェスティバル」に出席され、コスモホールに展示された児童の絵をご覧になりました。その折、「小学校から大学まで、絵画展でも、芸術展でもやってみてはどうか」とご提案されました。
 そして、同年11月、創価大学創立20周年記念行事として、創価一貫教育の総合芸術展の内容をもって、創価女子短期大学の白鳥体育館で「第1回創価芸術展」が盛大に開催されました。創立者は、現実となった創価芸術展に足を運んでくださり、出品者に対する激励とともに、「2回、3回と続けてはどうか」とのご提案をして下さいました。
 依頼、創価大学における本展と、関西展を開催し、第7回以降は、北海道展、首都圏展、東北展、中部展、中国展、九州展、信越展と回数を重ねてきました。
 平成10年12月、韓国・済州島にある勧告国立済州大学校校内で、初の海外展となる韓国展を開催しました。日韓文化交流の先駆けとなる大成功の展覧会となりました。また、平成13年4月には、2回目の海外展となる香港展を、香港創価幼稚園にて開催。更に、第15回展からアメリカ創価大学からの作品も出品され、世界に広がる創価芸術展へと発展してきました。そして今年、創価芸術展は、第20回を迎えます。
【創価芸術展と創立者】
第1回展(1992年)
「すばらしい。大学だけでは、もってない。巡回展をやろう。時代は絵画とか文化をめざしている。上手だ、素質がある、世界に持っていこう。いいことをやりました。来年もやろう。」

第2回展(1993年)
「よい展覧会だ。来年もやろう。海外に良い作品を送ったらどうか。」

第3回展(1994年)
「芸術を愛する心が、そのまま平和運動につながる」
「今までのような形で満足するのではなく、常に新しいものを生み出していくんだ」
「学生はお金がないから、よい作品ができるんだ。お金を持つとダメになる。とにかく、生きているうちに、何か意義のあることをするべきだ。」

第5回展(1996年)
「年々上手になるね」
芳名禄に御揮毫 「創価文化の建設に感謝」

第7回展(1998年)
「本当に上手だ。日本中、世界中の人に見せてあげたい」